大テロルの開始:第1次モスクワ裁判 (1936)
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「大粛清」の記事における「大テロルの開始:第1次モスクワ裁判 (1936)」の解説
スターリンはさらに、犯行は「レニングラード・テロリストセンター」と呼ばれるトロツキー一派の仕業であるというでっちあげの公式声明を行い、その逮捕を口実に、自らの反対派抹殺に乗り出した。まずレニングラードの共産党関係者が5000人ほど逮捕され、強制収容所へ連行された。 さらにかつて反トロツキーでスターリンと手を組んでいた大物たち、カーメネフとジノヴィエフらも標的となった。1936年7月27日の党中央委員会秘密書簡で、グリゴリー・ジノヴィエフらはキーロフ暗殺に関わっていたとされ、トロツキー派とも組んで政権転覆をねらっていたとされた。この秘密書簡によって大テロルは始動した。 カーメネフとジノヴィエフらは「合同本部陰謀事件」を企んだとして逮捕され、1936年8月の第一次モスクワ裁判にかけて銃殺刑に処した。先に逮捕されたレニングラード共産党の関係者5000人もこの裁判の後に全員が銃殺刑に処されている。スターリン時代最初の大規模殺戮だった。これはまだ序の口で、粛清はこの後さらに過激さを増すことになる。
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