外交決着と藩士への恩赦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 06:16 UTC 版)
2月24日、外国事務局総督山階宮晃親王は、大阪鎮台外国事務兼務伊達宗城を伴ってフランス支那日本艦隊旗艦「ヴェニス」に行き、ロッシュと会見。明治天皇からの謝意と宮中への招待を述べた。そのとき、宗城とロッシュとの間に生存者9名についての話し合いがもたれ、仏側は死亡者と屠腹者の数が同じことで当方の寛大な処置を示す根拠ができたとして、9名の助命を了承した。翌25日には土佐藩主山内豊範が「ヴェニス」に乗船、ロッシュらに謝罪したが、加害者側の藩主が来ることもあって、このときは24日と違って礼砲もないなど仏側の態度は冷やかであった。 ロッシュは30日御所に参内(はじめパークスも一緒に参内する予定であったが、直前に京都市内縄手通りで堺事件に憤激した攘夷志士三枝蓊、朱雀操に襲撃されて取りやめとなり、翌3月1日に延期となった。)天皇からの謝意を受けた。こうして政府間の問題解決は終了することになる。また9人については29日に東久世通禧、伊達宗城、鍋島直大の連名で「・・・死一等ヲ免シ、其藩ヘ下シ置カレ候条、流罪申付クベキ事」という書面が土佐藩に30日付で下され、こうして残された9名の処置が決定した。9名は熊本藩、広島藩に預かりとなっていた。
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