夏の家と冬の家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 05:44 UTC 版)
地方都市ではあるが、オスマンの伝統住宅の良好な姿をとどめているのは、世界遺産にも登録されているサフランボルである。サフランボルは、冬と夏で町の生活そのものが移動し、夏にはバー・エヴィと呼ばれる果樹園に取り囲まれた山の東斜面に生活の場が移る。仕事など、日々の生活には夏であっても冬の家が使われるが、仕事が終わると、人々は夏の家に移動し、そこで寝食を行うのである。夏の家と冬の家には、平面上、特に目立った差異はないが、夏の家は十分に風を取り込めるように開口部が大きく、かつ多く設置されている。逆に冬の家は開口部の面積が小さい。 イスタンブールの住宅は、20世紀に至るまでほとんど変わることなく建設され続け、現在でも、イスタンブールのアジア側にあるユスキュダルや、ボル県のギョイヌックなどには、15世紀と変わらない都市型の住宅を見ることができる。イスタンブールのような大都市でも、上流階級に限ったことではあるが、夏と冬の住み分けは行われていた。しかし、都市があまりにも大きかったため、夏の家と冬の家はかなり隔離されていることが多い。夏の家は、景色の良いボスポラス海峡沿岸に建設されており、彼等は船を利用して邸宅を往来していた。反対に、冬の家はボスポラス海峡から吹く冷たい風を避けるように、金角湾を望む傾斜地に建てられていた。当然のことながら、庶民にはこのような別々の住を建設する余裕はなかったが、夏用の部屋と冬用の部屋を設置し、あるいは家具での季節替えを行っていた。
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