変化の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 18:23 UTC 版)
その一方で、13世紀半ば頃から中世社会の大規模な変動が始まっていた。12世紀末以来、武士階層を基盤とする鎌倉幕府は、数度の戦乱を通じて所領を基盤たる在地領主層に再配分し、御家人の持つ自己増殖の欲求に応えてきたが、宝治元年(1247年)の宝治合戦により、得宗専制が完成して政治的安定が実現すると、所領再配分の機会となる戦乱の発生自体が見られなくなった。ここに至り、惣領・庶子への分割相続により自己増殖を繰り返してきた御家人は分割すべき所領を得る機会を失い、惣領のみに所領を継承させる単独相続へと移行していった。 単独相続を契機として、惣領は諸方に点在する所領の集約化と、在地での所領経営を進めていった。この過程で、庶子を中心とする御家人階層の没落が発生するとともに、本所と在地領主との所領紛争が先鋭化していったのである。 荘園支配の内部に目を向けると、在地領主による侵略を防ぐために、本所は荘園支配の強化に乗り出していたが、在地で荘園支配の実務にあたる荘官(彼らも在地領主層の一員である)は自らの経営権を確立しようとしていた。ここに本所・荘官間の対立を惹起する条件が出揃っていたが、当時急速に進展していた貨幣経済・流通経済の社会への浸透が、両者の対立を激化させていった。 以上に見られる御家人層内部、もしくは荘園支配内部における諸々の矛盾は、中世社会の流動化へとつながっていき、13世紀後半からの悪党の活発化をもたらした。さらに同時期の元寇もこれらの矛盾をさらに増大させ、悪党活動の更なる活発化を促したのである。
※この「変化の背景」の解説は、「悪党」の解説の一部です。
「変化の背景」を含む「悪党」の記事については、「悪党」の概要を参照ください。
- 変化の背景のページへのリンク