基盤地域について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 17:03 UTC 版)
高衡は本吉冠者あるいは本吉四郎と呼ばれている通り、ほぼ間違いなく宮城県の沿岸北部の本吉地域を基盤としていたことが伺える。実際、本吉地域には今も高衡に関する伝承が残っている。まず、本吉郡南三陸町志津川にある朝日館跡は、高衡の館跡とも伝えられている。朝日館跡の案内板には「藤原秀衡の四男本吉四郎高衡は本吉庄の荘園管理のため、ここ朝日館を根拠とした(1180年頃)と伝えられ(古城書上、封内風土記)、古来本吉金をはじめとする諸物産の重鎮となった所である」とある。志津川の南西に位置する標高372mの保呂羽山(ほろわさん)の山頂には保呂羽神社があるが、この神社には高衡が尊崇した旨の言い伝えがある。やはり南三陸町志津川にある大雄寺(だいおうじ、写真中)は高衡によって開基されたと伝えられている。また、荒沢神社には平泉の中尊寺で作成された紺紙金泥経の一巻が伝えられており、平泉との強いつながりを窺わせる。
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