執筆者認定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/30 02:22 UTC 版)
平山洋は、「支那人親しむ可し」発表の10日前である1898年(明治31年)3月12日に福澤が同様な内容の演説をおこなっていることに注目して、「支那人親しむ可し」の執筆者が福澤であると認定している。 茲に甲の國乙の國と云ふものがある、兩國相對する時には、此方の國民は自國の利益ばかりを大切に思つて、如何がなして自分の國の利益になるやうにとばかり考へて居るけれども、是れが此方ばかりそう思つて居れば宜しいが、隣國の人も其通りに思ひ、隣りの親爺も亦その通りに思つて居る。ソコで仕方がないから、商賣をし貿易をしながら、彼方にも便利になるように、此方にも共に便利になるようにと思ふところからして、自から自利利他と云ふことが起つて來る。サアそれと同じ事で、國に於ても、自尊も宜しい、自大も宜しい、自尊自大甚だ宜しいけれども、如何してもそりや出來られない話で、自尊尊他と斯う云はなくてはならぬと云ふことになつて、自分の國が尊いものだと云へば隣りの國も尊いものと斯う爲なければならぬではないか。分り切つた話。然るに今日の日本の世間に流行する所の趣意は、自大自尊と同時に他を卑めるやうに見える風のあるのは如何だ。是れは行はれない話ではないか — 福澤諭吉、『福澤諭吉全集』第19巻「明治三十一年三月十二日三田演説會に於ける演説」736-737頁 また、「支那人親しむ可し」が昭和版『続福沢全集』に収録されていることから、全集編集者の石河幹明も福澤執筆の論説と認めていたと指摘している。
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