埴輪と須恵器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/24 03:38 UTC 版)
これまで長尾山古墳の発掘によって出土した埴輪片は、朝顔形円筒埴輪と普通円筒埴輪の2種類のみである。朝顔形円筒埴輪の方が多く発見されており、通常の場合、普通円筒埴輪が多く朝顔形円筒埴輪が少数であるが、長尾山古墳の場合、多数の朝顔形円筒埴輪の中に少数の普通円筒埴輪が使用されていたものと考えられている。鰭付円筒埴輪や形象埴輪などが検出されていないことから、長尾山古墳の築造時期は古墳時代前期前半であると推測されている。 埴輪の形態からもまた、長尾山古墳の築造時期は前期前半であるとの推測がなされている。まず朝顔式円筒埴輪の突帯に受口状突帯が見られる。類例としては奈良県天理市の東殿塚古墳や大阪府柏原市の玉手山古墳群9号墳から出土した埴輪などが挙げられ、類例の埴輪が検出された古墳の年代、そして器台と壺が結合した形態を残していることから、やはり古墳時代前期前半という年代観が妥当であると考えられる。また埴輪の内面をヘラで削る技法を用いて薄く仕上げていること、検出された埴輪に用いられている技術を検証してみると様々な技術が用いられており、組織的かつ統一された埴輪の生産体制が確立されない中で作られたと考えられること、そして朝顔形円筒埴輪は4方向からすかし穴が開けられていたことなども、出現期古墳の埴輪の特徴と合致する。このように出土した埴輪から、長尾山古墳は4世紀初頭、西暦300年頃の築造であると推定されている。 土師器については、その多くが木棺の腐朽に伴い粘土槨が陥没したために墳頂部から落ちた小礫群の中から検出された。小礫群以外には墳丘のくびれ部分から出土している。検出された土師器の多くは指先よりも小さい細片となっており、詳細な年代の推定は困難であるが、埴輪による年代観と矛盾するものではないと考えられている。比較的よく残っている破片から、長尾山古墳の土師器は小型のものであり、壺、甕、鉢、器台などであったと考えられている。墳頂部から落ちた小礫群やくびれ部分から土師器が出土したことから、長尾山古墳の墳丘上で祭祀が行われたと推測されている。
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