埴輪の生産と遠隔地への供給
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 22:22 UTC 版)
「生出塚埴輪窯跡」の記事における「埴輪の生産と遠隔地への供給」の解説
東国の人物埴輪残欠のなかには、腕が折れて断面に穴が確認される事例がみられる。これは、製作時に棒状の木を粘土でくるんで成整形したのち木を抜いて胴部に貼り付けたために生じた穴だと考えられる。このような製作技法は、埼玉県東部と茨城県北部で顕著にみられ、東国に特有の技法と考えられる。考案したのは、埼玉古墳群築造にかかわって埴輪を供給した生出塚埴輪窯の工人たちと思われ、それが常陸北部にまで伝播したことは、工人相互の人的・技術的交流が広域にわたっていたことを物語る。 生出塚埴輪窯ではまた、上述したように直線距離にして54キロメートル離れた大田区多摩川台第1+第2号墳(西岡第45号墳)、さらには95キロメートル離れた市原市の山倉1号墳の埴輪を製作していたことが判明している。このように埴輪を遠隔地の古墳へ長距離運搬するに際しては、河川や海などの水上交通が重要な役割を担っていたものと考えられる。また、千葉県の事例では、山倉1号墳で見つかった埴輪全部が生出塚産であるのに対して、法皇塚古墳の場合は生出塚産と「下総型」との共存関係があったことは注目に値する。
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