城富歎訴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 20:03 UTC 版)
さて、この富右衛門には、20歳になる息子・富之助がいた。富之助は生まれつき目が不自由であったが、鍼治療の医師・城重(じょうしげ)に弟子入りし、抜群の腕前を披露するようになっていた。その見事な腕前から幕府の幹部にも顔を知られるようになり、師匠の城重から一文字貰って城富(じょうとみ)と名乗るようになった。ある日、実の父である富右衛門が殺人罪で拘束されていることを知ると、懇意の客である老中・安藤対馬守(あんどうつしまのかみ)に涙ながらに冤罪であることを訴えた。城富から事件の詳細を聞いた安藤対馬守は、殺人犯が煙草入れを現場に落として逃走するというミスを犯したことに疑問を覚え、大岡越前を呼び出し意見を求める。大岡越前もまた、富右衛門には殺害の動機がないことを指摘し、大岡越前が直々に裁判のやり直しを実施することとなった。改めて裁判が開かれるが、富右衛門は、自身は無実であり拷問に耐えかねて虚偽の自白をしたと主張する。大岡越前は富右衛門から旅の詳細を聞き、それに基づいて役人を派遣し調べると、富右衛門が旅をしていたことは事実であるということが判明した。さらに、付近には野犬が群がっており、いつ襲われてもおかしくはない状況であったことも判明した。本来であればこの時点で富右衛門は無罪放免となるはずであったが、何故か大岡越前は富右衛門を再び牢屋に入れてしまう。一方で城富は、大岡越前を信頼し、富右衛門の釈放を確信していたが、何ヶ月待っても富右衛門が釈放されないことに疑いを感じ始めるのだった。
※この「城富歎訴」の解説は、「畔倉重四郎」の解説の一部です。
「城富歎訴」を含む「畔倉重四郎」の記事については、「畔倉重四郎」の概要を参照ください。
- 城富歎訴のページへのリンク