城下町の興りから江戸時代まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 05:59 UTC 版)
「上本町 (鹿児島市)」の記事における「城下町の興りから江戸時代まで」の解説
上本町の前身となる恵美須町、車町は地名としては江戸時代より見え、薩摩国鹿児島郡鹿児島城下上町(かんまち)のうちであった。恵美須町は上町の始まりの町とも呼ばれており、島津氏の居城である清水城(1341年築城)、内城(1550年築城)が築城され、恵美須町の区域が内城の城下の中心であった室町時代から戦国時代末期にかけての時期に成立したとみられている。恵美須町は「戎町」や「夷町」とも書かれた。 薩摩藩の国学者である白尾国柱によって著された「倭文麻環」によると恵美須町は「鹿児島市中の元始は、恵美須町なり」と記載されており、内城が築城された際に成立した町であり、上町では一番初めに成立した町である。恵美須町には港があり漁民が多く住んでいたほか、魚市やそれらに関連する納屋が置かれ活況を呈した。 恵美須町の成立後にさらに城下町が拡張されたことにより、恵美須町に次いで車町が成立した。車町は恵美須町を囲っていた廓の一部を割いて成立したことから「廓町」とも書かれたと記載されている。車町には上町の町会所及び火見櫓が置かれた。 江戸時代になると、島津氏の居城は内城から鹿児島城(鶴丸城)に移り、それに伴って恵美須町に置かれていた魚市場を中町に移転すると次第に衰退した。
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