地名「滝山」の由来とは? わかりやすく解説

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地名「滝山」の由来

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 01:22 UTC 版)

滝山団地」の記事における「地名「滝山」の由来」の解説

滝山団地の「滝山」の地名は、当該団地を含む地域旧日住宅公団による土地区画整理事業が行なわれた際に、旧北多摩郡久留米町(現 東久留米市)により「滝山」(1丁目 - 7丁目)の町名付されたものである正式に滝山」の地名付されたのは、東久留米市市制敷いたのと同日昭和45年10月1日住居表示法に基づき、旧久留米町内の小金井街道から西側地域において実施された、地番から住居表示への市内4回目変更よるものである。 当該地域は、旧久留米村成立する以前の「前沢村」および「下里村」に含まれる地域相当しその後に旧合併により成立した久留米村においては大字付した大字前沢」「大字下里」と呼称されていた。この大字前沢の中の小字に、かつて「滝山道(みち)」と称される地域があった。現在の小金井街道所沢街道とが交わる前沢交差点より所沢街道沿い西方位置する現在の滝山1丁目から八幡町2丁目周辺地域相当し、この付近には旧「成蹊学校」(のちの久留米小学校西分校昭和43年廃校)および村役場設置されていた。 上記地域が「滝山道」と呼称されたことに関連して前沢宿周辺から八幡神社前を通り所沢街道抜けて金塚小平方面へと続く道の、金塚付近より南下する道のことを、かつては滝山道」と称されていた。この道の名の由来は、現在の八王子市滝山町にかつてあった「旧滝山城」及び、その支城といわれる現在の所沢市本郷位置する滝の城」(本郷城)の二つの城をつなぐ旧道意味していたとみられるまた、久留米村のほかに旧清瀬村や旧保谷村などの複数北多摩周辺自治体においても、地名傾向に「府中道西」「所澤道東/西」「東京道」「往還北/南」「大山道東/西」といった「(地名)道」の例が多く確認されており、これらの例の多くが、付近街道先に当該地が位置されることに因む命名であることから、「滝山道」についても「旧滝山城」を含む現在の八王子市滝山町周辺因んだ地名解されている。

※この「地名「滝山」の由来」の解説は、「滝山団地」の解説の一部です。
「地名「滝山」の由来」を含む「滝山団地」の記事については、「滝山団地」の概要を参照ください。

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