国名問題の終結と欧州統合への道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 15:50 UTC 版)
「北マケドニアの歴史」の記事における「国名問題の終結と欧州統合への道」の解説
2017年に発足したゾラン・ザエフ政権はギリシャとの呼称問題解決に向けて積極的に働きかけ、2018年6月12日にマケドニアは国名を北マケドニア共和国とすることでギリシャとの合意(プレスパ合意)が成立、同月17日に署名した。2018年9月30日には、ギリシャとの合意に基づいて「北マケドニア共和国」への国名変更などの賛否を問う法的拘束力の無い国民投票が実施されたが、投票率は30%台にとどまり成立に必要な50%には届かなかった。投票結果は、9割超の投票所で開票を終えた段階で賛成91.3%に対し、反対5.7%だった。合意に反対する野党側は、ボイコットを呼び掛けていた。2019年1月11日、マケドニア議会は国名を「北マケドニア共和国」に変更する憲法改正案を承認した。賛成票は議会定数120中81票と、必要な80票を僅かに上回った。同年1月25日、ギリシャ議会においても合意が承認され、2月12日に改名が発効した。 こうして国名問題によるギリシャとの対立が解消されたため、北マケドニアは長年の目標であったEUとNATO加盟への道が開けることとなった。2019年2月6日にはNATO加盟国がマケドニアを30番目のNATO加盟国とする議定書に署名し、2020年3月27日に正式にNATOに加盟した。 EUとは2020年3月24日、EU各国の欧州担当相らが北マケドニアのEU加盟交渉開始に合意し、同月26日にEU首脳がこの方針を確認した。
※この「国名問題の終結と欧州統合への道」の解説は、「北マケドニアの歴史」の解説の一部です。
「国名問題の終結と欧州統合への道」を含む「北マケドニアの歴史」の記事については、「北マケドニアの歴史」の概要を参照ください。
- 国名問題の終結と欧州統合への道のページへのリンク