国会解散から投票まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/11 14:52 UTC 版)
「2011年シンガポール通常選挙」の記事における「国会解散から投票まで」の解説
2011年4月19日、S・R・ナザン大統領は国会を解散した。立候補届出日は4月27日に定められた。第2回通常選挙以降人民行動党は、立候補届出日の時点で政権を維持したことはなく、毎回投票日に政権を獲得している。つまり人民行動党は、投票によって野党に勝利することで長期政権を維持している。今回の選挙では、プンゴル・イースト単独選挙区において、2001年以来初めてにして唯一3名が立候補する三つ巴の選挙区となった。なお、一つ選挙区における最多の立候補者数としては、2年後の2013年に行われた同選挙区の補欠選挙の4名である。 この選挙は、様々な政党が各種の方式によって"分岐点となる選挙"と描写した。与党である人民行動党は、"シンガポールの次世代のリーダー"を決める選挙となる、と有権者に訴えた。労働者党は、この選挙をシンガポールと野党の双方にとっての"分岐点となる選挙"と呼んだ。なぜなら、野党にとっては過去20年間で初めて、2名の野党議員がそれぞれ前回選挙で当選した単独選挙区から離れ、集団選挙区(英語版) (GRCs) で選挙戦を戦うことにしたため、"選挙で当選した野党議員がいない"状況になりかねないというリスクを負ったからである。 これまでの通常選挙では、人民行動党以外の政党・個人が立候補を届け出なかったために人民行動党の候補者が無投票当選となる選挙区も少なくないが、今回の選挙では87議席中82議席 (94.3%) が投票の対象となった。この比率は独立以来最も高かった。またこの通常選挙は、選挙の対象となった議席の数が最も多い選挙ともなった。それまでで最も多かったのは、1972年の第7回通常選挙で、65議席中57議席 (87.7%) が選挙の対象となった。ビシャン-トア・パヨ集団選挙区とホランド-ブキ・ティマー集団選挙区では初めての投票となる一方、タンジョン・パガー集団選挙区は選挙区が形成された1991年以降、無投票当選が続く唯一の選挙区となった。
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