営業不振と買収・更迭騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:51 UTC 版)
「兵庫電気軌道」の記事における「営業不振と買収・更迭騒動」の解説
「神戸から西へ向かう初の電車」とされ、期待を持って運行が開始された兵庫電気軌道であったが、営業成績は芳しくなかった。一時、神戸電気鉄道への経営移管や直通運転が計画されたこともあったが、前者は折り合いがつかず、後者も車両規格の違いを理由に実現しなかった。 結局、兵庫電気軌道では経営陣を更迭し、第2期線とされた須磨 - 明石間の建設を行う選択肢を取らざるを得なくなった。だがこれも、用地買収の進展が遅れたこと、須磨にあった御料地の借用問題、さらには舞子公園の景観問題が絡んで、暫定開業・一部経路変更を行うことになり、1912年(明治45年)7月11日に一ノ谷まで、1913年(大正3年)5月11日に塩屋まで、そして1917年(大正6年)4月12日にようやく明石まで開業させることができた。 開業の効果は大きく、収入・乗客数はおよそ3割の増加になったという。これによりようやく兵庫電気軌道は経営を軌道に乗せることができたのであった。
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