唐御所横穴とは? わかりやすく解説

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唐御所横穴

名称: 唐御所横穴
ふりがな からのごしょよこあな
種別 史跡
種別2:
都道府県 栃木県
市区町村 那須郡那珂川町
管理団体 那珂川町(昭10・2・1)
指定年月日 1934.12.28(昭和9.12.28)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 馬頭町和見武茂村北向田トノ境界ニアル岩下山ニ存スル凝灰岩丘陵上ニ設ケラレタルモノナリ 石室玄室前室ヨリ成リ前室ハ其ノ一部ヲ存スルノミナルモ玄室ハ完全シ入口方形ニシテ門扇ヲ設ケシ軸摺ノ跡ヲ存ス 奥行尺六九分 幅六尺六寸 高六尺一寸九分 天井ニハ棟木ヲ刻セリ丘陵上ニ存セル多數横穴トハソノ構造ヲ異ニシ最モ精巧ムルモノナリ
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史跡:  唐仁古墳群  唐原山城跡  唐古・鍵遺跡  唐御所横穴  唐招提寺旧境内  善光寺跡  善法院庭園

唐御所横穴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/12 20:44 UTC 版)

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座標: 北緯36度44分37.6秒 東経140度9分23.9秒

唐御所横穴

唐御所横穴(からのごしょよこあな)は、栃木県那須郡那珂川町にある横穴墓である。昭和9年(1934年)国の史跡に指定[1]

北向田地区から和見地区に至る那珂川左岸の丘陵斜面には凝灰岩を掘削した横穴墓群が分布しており、「北向田・和見横穴墓群」と呼ばれている[2]。 北向田・和見横穴墓群は尾根を境に北向田群と和見群に分かれ、さらに前者は北・中央・東南、後者は北・南・西の各支群に分かれる。唐御所横穴はこのうち和見群北支群に所属する[2]

唐御所横穴は前庭・羨道玄室が明確で規模も大きい。奥壁から羨門まで4.78m、玄室長2.75m、玄室中央幅2.34m[2]、奥壁高さ1.9m[3]。羨門から平面が台形をした前提に続く。天井は中央に棟木、左右を切妻屋根風に傾斜させ、玄室はコの字状に3つの棺座が造り出されている。玄門は妻入となり、外側に戸をはめ込むための彫り込みが施してある[3]。その精巧さは全国的に見て屈指であり、後期から終末期の切石横穴式石室と構造的に類似することが指摘されている[2]

脚注

  1. ^ 国指定文化財等データベース
  2. ^ a b c d 大塚初重小林三郎・熊野正也編『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年、186頁。
  3. ^ a b 唐の御所横穴 那珂川町

関連項目



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