唐宋期の荘園経営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 06:18 UTC 版)
唐宋期の荘園は庭園及び農地の他、複数の耕地で構成されていた。荘院・荘宅には荘園の所有者とその家族、監荘・管荘・幹人と呼ばれる管理者層、その他家事労働などを行う使用人などから構成された。荘園は所有者が直接経営に携わる場合もあったが、所有者に雇われた管理者が直接耕作者である佃戸及び奴隷を監督して生産物や金銭などの形式で租税や小作料を徴収して管理し、時には相場を利用して運用を図り差額を儲ける者もいた。保甲法制定以後、管理者から佃戸の中から雇用されて佃戸に甲を編成させるとともに租税・小作料徴収業務の補佐を行う甲頭が設置された。直接耕作者としては佃戸、奴隷、その他雇傭者が挙げられる。佃戸は荘客・地客・佃僕・客戸とも呼ばれ、中には自己の土地を持つ自作農が生活の資のために佃戸の役目を担う例もあった。荘園内に数十ないし数百の佃戸が建てられそこに住む者と外部から通う者がいる。彼らは必要な農具や耕牛の提供を所有者や管理者から受けながら荘園内の耕地を耕作して租税や小作料を納めた他、荘園内の労働にも従事した。奴隷は家内奴隷的な性質を有する者と独立した住居を構えて佃戸に近い性質を有する者があった。奴隷は前時代の私奴婢・部曲の流れを汲み、唐代までは荘園内の労働において重要な役目を担っていたが、宋代になると佃戸による耕作の方が所有者・管理者の負担が軽く、次第に佃戸に切り替えられたり、奴隷の雇傭者化が進むことになっていった。それでも直営地を耕す要員として奴隷が完全に排除されることは無かった。
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