和平とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 11:38 UTC 版)
「西部戦線 (アメリカ独立戦争)」の記事における「和平とその後」の解説
歴史家デイビッド・カーティス・スキャッグスの表現では、北西部での戦争は「手詰まりで終わった。」最後の年1782年の冬は、両軍とも敵の開拓地を破壊できたが、領地として保持することはできなかった。ショーニー族にとってこの戦争は損失だった。アメリカ側はケンタッキーを守ることに成功し、そこの開拓地を増やしたので、インディアンの主要な狩場が失われた。インディアン達はオハイオ川地域から押し出されており、アメリカ側がインディアンの襲撃を恐れて占領できなかった放棄された土地であるエリー湖盆地に入っていた。 決まりかけていた停戦条約の知らせが1782年遅くに届いた。最終的な条約では、「この条約が締結された時にアメリカ兵は1人としてオハイオ川の北に居なかった」という事実にも拘らず、オハイオ領土がイギリスからアメリカ合衆国に割譲された。イギリスはこの件についてインディアンに何の相談もしなかったし、インディアン達は条約の中身を知らされなかった。インディアン達は直ぐに北西インディアン戦争を開始した。しかし今度はイギリスの明白な介入無しであった。
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