和平のテントでの殺人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 22:52 UTC 版)
「モードック戦争」の記事における「和平のテントでの殺人」の解説
4月11日朝、和平委員会メンバーのキャンビー将軍、アルフレッド・B・ミーチャム、トーマス牧師およびL・S・ダイアーが、フランクとトビーのリドル夫妻を通訳として、ボストン・チャーリー、ボーガス・チャーリー、キャプテン・ジャック、ジョン・ションチン、ブラック・ジムおよびフッカー・ジムと会見した。幾らか話が進んだ後に、モードック族が武装していることが明らかになり、キャンビー将軍はワシントンから命令が来るまで委員会はキャプテン・ジャックの条件を飲めないとジャックに伝えた。ジョン・ションチンは怒りのムードの中で保留地候補地としてホット・クリークを要求した。キャプテン・ジャックが立ち上がって数歩遠ざかった。ブランコ(バーンコ)とスロラックスという2人のモードック族がライフル銃で武装し、岩の間に隠れていた所から走り出た。キャプテン・ジャックが振り返って発砲せよという合図を送った。キャプテン・ジャックは隠し持っていた拳銃を1発発射して丸腰のキャンビー将軍を撃ち倒し、ナイフでとどめを刺した。トーマス牧師は致命傷を負った。ミーチャムは重傷だった。ダイアーとリドルは走って逃げ出した。トビー・リドルが「兵士達が来ている!」と叫ばなかったら、ミーチャムは間違いなく殺されていただろう。 モードック族の委員殺害によって、和平のためのあらゆる努力が水泡に帰した。白人アメリカ人はこれに怒り、ウィリアム・シャーマン将軍はキャンビーの後任者にモードック族の撃滅を命じた。シャーマンはこう命令に付け加えている。 「彼らを完全に根絶やしにしてもよろしい」
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