和平の決裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 05:42 UTC 版)
匈奴で15人の単于を分立させようと考えた王莽は、呼韓邪単于の諸子を招き寄せた。やって来たのは右犁汗王の咸と、その子の登(中国語版)と助(中国語版)の3人で、使者はとりあえず咸を拝して孝単于、助を拝して順単于とした。このことを聞いた烏珠留若鞮単于は遂に激怒し、左骨都侯で右伊秩訾王の呼盧訾、左賢王の楽らに兵を率いさせ、雲中に侵入して新の吏民を大いに殺させた。ここにおいて、呼韓邪単于以来続いた和平は決裂した。 この後、匈奴はしばしば新の辺境に侵入し、殺略を行うようになった。王莽の蛮族視政策は西域にも及んだため、西域諸国は新との関係を絶って、匈奴に従属する道を選んだ。
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