名誉号「大掾」受領
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「太田近江大掾藤原正次」の記事における「名誉号「大掾」受領」の解説
太田六右衛門の鋳造技術は皇族にも認められ「大掾」を受領した。近世の「掾」は宮家や宮中が職人・芸能人に授けた称号で、「大掾」は最高位の名誉号だった。 『御府内備考』では延宝5年(1677年)に京都より近江大掾を授かり、安永7年(1778年)皇族・勧修寺宮から「太田近江大掾」の名を受領されたとある。作品の銘にはそれ以前から「太田近江大掾藤原正次」が刻まれており、元禄5年(1692年)鋳造した浅草寺 (台東区)の梵鐘、元禄7年(1694年)鋳造した井口天神社 (滋賀県栗東市)の銅製鳥居、元禄11年(1698年)鋳造した感應寺 (江戸川区)の梵鐘など多くの作品に見られる。 特に、明暦の大火の犠牲者を供養するため、大工・太田近江大掾藤原正次が9人の小工を率いて、宝永2年(1705年)に鋳造したという回向院 (墨田区)の銅造阿弥陀如来座像は、その姿形、技法とも優れた代表作で、10か所ほどに分けて鋳造したが、つなぎ部分がわからないほど精巧な仕上がりである。
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