名称の推移
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 12:53 UTC 版)
ヤークトティーガーは愛称ではなく制式名称である。 1943年2月から本車は開発が検討された。開発当初から「12.8cm砲付き重突撃砲」、「ティーガーHシャシーの12.8cm戦車駆逐車」等と呼称の揺れが見られる。「VI号戦車駆逐車」(Pz.Jg.VI、パンツァーイェーガーVI)という呼び方は、1944年3月4日に機甲兵総監部が作成した書類の1つに記されている。 1944年2月27日に作成された陸軍参謀本部部長の書類では、ティーガーの車体を用いた重戦車駆逐車が「ヤークトティーガー」の暗号名で呼称されることを示している。1944年3月4日の機甲兵総監部文書ではヤークトティーガー(ティーガーIIシャシーの55口径12.8cm対戦車砲44)との呼称が記載された。しかし、それ以後も各部局の書類上ではヤークトティーガーもしくはティーガーII戦車駆逐車など、さまざまな記載がなされている。 1944年9月11日、陸軍参謀本部部長作成の書類では、部隊における名称がヤークトティーガー、書類記載上の名称はヤークトティーガー型であることが記載された。しかし、最終段階にあっても記載される名称は揺れており、1944年11月28日の告知書では戦車駆逐車ティーガー、1945年2月25日の機甲兵総監部文書ではヤークトティーガー(ポルシェ式走行装置)という名称が見られる。
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