名声を博した理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 06:00 UTC 版)
竹の谷蔓牛は各地で多くの分蔓生み出した。なかでも卜藏蔓(ぼくらつる)造成において、島根県仁多郡の卜藏甚兵衛正昇氏は、3歳の竹の谷蔓雌牛を購入したとされる。その購入額は「一升桝一杯の銀粒」、即ち金子百両と非常に高額であった。これは普通牛の数十倍もの高値である。そのような名声を博した理由を以下に列挙する。 体格偉大で乳量の多い点を、近親交配によって始祖牛に固定したこと。 その後2頭の自家生産雄牛を厳選し、この2系統を交互に選択交配したこと。 雌牛には近親雄牛を交配し、妊娠中売却したため、その子牛もまた親に近似し、売却先でさらなる名声を博したこと。 付近の農家に、この系統牛の優良子牛を飼育させ,良牛の散逸を防ぐなど、品質維持を怠らなかったこと。 難波家は、代々広く地域からの信望が厚く、初代元助は孝行を藩主から表彰されるなど、郷土の人々からの尊敬が深かったこと。 竹の谷は、産牛の放牧育成に極めて好適な地勢と地質であったこと。
※この「名声を博した理由」の解説は、「竹の谷蔓」の解説の一部です。
「名声を博した理由」を含む「竹の谷蔓」の記事については、「竹の谷蔓」の概要を参照ください。
- 名声を博した理由のページへのリンク