合戦関連伝承地とは? わかりやすく解説

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合戦関連伝承地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/24 20:50 UTC 版)

沓切坂」の記事における「合戦関連伝承地」の解説

沓切坂周辺には関戸分倍河原合戦関わる伝承地複数存在する鐘懸松 徳ヶ谷戸にあった。義貞が北条軍攻めるときに陣鐘取り付けて進軍退却合図をしたという説や、北条軍追いやった義貞がそれまで進軍疲れ癒すために陣鐘吊るして休息取ったという説がある。なお、この鐘は乞田吉祥院のものと伝えられている。 鞍懸松 琴平境内にあった。義貞が鞍を懸けたという伝説がある。 弦巻橋 乞田交差点付近流れ小川掛かる。義貞が弓の弦を外して小休止したとも、北条勢が弓弦巻いて逃げたとも伝えられる。現在は暗渠化されている。 八郎塚 北条軍しんがり務めて戦死した横溝八郎の墓。関戸古戦場近く個人宅庭先にある。 入道塚 横溝と共に戦死した北条軍安保入道父子の墓。関戸5丁目個人宅庭先にある。 無縁仏 関戸合戦戦死した無名戦士の墓伝えられる石塔京王バスバス停関戸」そばの石段の上にある。 笛吹峠 乞田(現・豊ヶ丘)の吉祥院の裏山を唐沢山といい、義興(義貞とする説もある)がこの山の尾根道を笛を吹きながら通ったことから、笛吹峠ともいう。 旗巻塚 関戸小地名北条軍旗を巻いて後方退却したところという伝説がある。 鞘井戸三家井戸小野路町小地名。義貞がこので刀を研いだという伝説がある。 どうよう塚 和田伝承地名。雑兵死体寄せ集め、数か所に分散して埋めたという。

※この「合戦関連伝承地」の解説は、「沓切坂」の解説の一部です。
「合戦関連伝承地」を含む「沓切坂」の記事については、「沓切坂」の概要を参照ください。

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