合意までの過程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 01:43 UTC 版)
各国代表者として法律に精通した者たちが各3人ずつ任命され(1412年2月15日、アルカニス)、彼らはサラゴサ近郊のカスペに集まって正統性主張者らを吟味した。代表者は以下の人物たちである。 ウエスカ司教ドメネク・ラム ベネディクトゥス13世の全権大使フランセスク・デ・アランダ アラゴン王国のコルテス代表ベレンゲル・デ・バルダイシー タラゴナ大司教ペレ・デ・サガーリガ バルセロナ評議員ベルナト・デ・グアルベス カタルーニャのコルテス代表ギリェン・デ・バイセカ ポルタセリ修道院長ボニファシ・フェレール ドミニコ会派聖職者ビセンテ・フェレール - 説教師、ボニファシの兄 ペレ・ベルトラン - 法に精通していることでバレンシア代表となった 1412年6月28日、6票(アラゴン3票、バレンシア2票、カタルーニャ1票)を獲得したカスティーリャ王子フェルナンドが、フェルナンド1世として即位した。アラゴン王家(バルセロナ家)の血を引いているとはいえ、3カ国の臣民は外国人の王を戴くことを選択したことになる。それには、投票で選ばれた王ならば、各国の自治制度(3カ国とも独自の法体系を持っていた)を尊重するに違いないという期待が働いていた。その期待は、結果的にはフェルナンド1世の後継者たちによって裏切られることになる。
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