各大学探検部によるファンケイビング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 15:06 UTC 版)
「河内風穴」の記事における「各大学探検部によるファンケイビング」の解説
鈴鹿プロジェクト後、未調査の支洞を多く残したまま10年程度河内風穴での未測量空間の測量調査は途絶えた。その間、各大学のサークルによる河内風穴への入洞はしばしば行われた。例えば、上記鈴鹿プロジェクトに参加していた大阪市立大学探検部は、1988年7月には新人合宿で、翌年10月にも鈴鹿洞窟合宿で河内風穴に入洞している。更に1990年4月には読売テレビのニュース番組の取材協力のため河内風穴に入洞し、その後も1991年1月、1992年12月、1993年6月、同年11月、と河内風穴で洞窟活動を行っている。1995年には7月の新人合宿および12月の洞窟活動で2度、1996年には5月、6月、10月、11月に各1回、9月に2回と1年に6回も入洞しており、翌年も1月、9月および10月に、その翌年は5月、1999年には10月のテレビ取材および11月に河内風穴に入洞している。ほかにも、近畿大学文化会探検部は1988年8月30日から9月4日まで河内風穴訓練合宿にて測量訓練を行っている。また、関西大学探検部は1992年5月および1993年に河内風穴洞窟合宿を行っている。 また、合同合宿も多く組まれ、1987年11月には京都府立大学および大阪市立大学が、1988年9月には大阪大学および大阪市立大学が、1989年5月には大阪芸術大学、大阪市立大学および神戸大学が、河内風穴で合同合宿を実施している。また1989年6月には江戸川ケイビングクラブと大阪市立大学が河内風穴で合同合宿を実施している。
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