可美村制時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 06:14 UTC 版)
1914年(大正3年)3月10日 - 村名を浅場村から可美村に変更。村名の由来は、当時の浜名郡長の鈴木七二郎氏の漢詩文より選定された(美しかる可(べ)き村)瑞祥名。 1949年(昭和24年)4月1日 - 明神野・東明神野の各大字(現在の浜松市中区神田町近辺)が浜松市に編入される。 1961年(昭和36年)6月20日 - 当時浜名郡同士で唯一隣接していた篠原村が浜松市に編入、当村はこれより四方を浜松市に囲まれた状態となる。 1972年(昭和47年)11月11日 - 村章を制定する。 1991年(平成3年)5月1日 - 浜松市に編入される。また、合併により大字名の末尾に町が付けられた。 2007年(平成19年)4月1日 - 浜松市が政令指定都市に移行し、1908年(明治41年)に編入された大字が中区、1949年(昭和24年)時点の村域が南区となる。
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