古千波湖時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 13:59 UTC 版)
最終氷期の時代であった2万年から1万8千年ほど前、海面の低下により流れが急になった那珂川、古桜川は台地に深い谷を造った。1万2千年前頃から地球の気温上昇が進むにつれ海面も上昇し6千年前頃には現在の千波湖近くまで入江が侵入した。現在、千波湖南東岸にある柳崎貝塚はこの時代の証人でもある。海面上昇に伴い那珂川、古桜川の土砂運搬力は弱まり水戸の台地の間に沖積平野を形成し、古千波湖の元となる低湿地が出来た。5千年前頃から海面の低下が始まり、古桜川は那珂川と合流した。那珂川が氾濫時に運んだ堆積物は古桜川との合流点に逆三角州を形成し古桜川を堰き止めた。これにより千波湖の原型たる古千波湖が誕生した。このような形成過程を持つ湖沼を「堰止湖」と呼ぶ。 流れを遮られた古桜川は那珂川の後背湿地に流れ込み「赤沼」と呼ばれる沼地も造った。この沼地のあった場所はかっては「赤沼町」と呼ばれ、現在の城東2~4丁目,東台2丁目辺りである。この赤沼の他、古千波湖東端と那珂川の間には「鏡ヵ池」と呼ばれる池沼などが連なって存在しており、古千波湖の水はこれらの池沼を経由し、最終的に赤沼から那珂川へ流れ込んでいた。これら東端から連なる池沼も古千波湖の一部として捉えるなら古千波湖は吉田地区、浜田地区の方まで拡がっていたより大きな湖沼であったといえる 。
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