古代中国哲学における世界観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 03:06 UTC 版)
「世界観」の記事における「古代中国哲学における世界観」の解説
中国においては戦国時代に諸子百家と呼ばれる多様な思想家を輩出し、さまざまな考え方を主張した。中国思想における論理学派として有名な名家は名辞の真理性を主張した。彼らによれば「白い馬」とは「白」と「馬」であり、「白」という観念と「馬」という観念こそ真理であるとする観念論を唱えた(白馬非馬)。このような名家の主張に対して、法家では実際的で物質的な「実」と「名」を一致させることが真理であると主張し、儒家は教化主義的立場から「実」に真理を求めた。また陰陽家は「陰」と「陽」の調和と対立による世界観を主張した。漢の時代皇帝支配が徹底され儒学が国教的な位置をしめるようになると儒教の実際主義がますます支配的となった。天変地異は実際の皇帝の施策と影響しあうということが信じられ、自然現象がしばしば政治的に論議された。しかし同時に儒教のこのような実際主義は陰陽思想や法家的立場を実際面から尊重するものでもあり、名家のような名辞主義は早くに没落したが、儒教の知識人主義的な書誌尊重の風潮とともにこれらの思想も維持されたり儒教への吸収がされたりした。これは儒教思想が基本的には多神教の立場を取っていたことにもよる。また儒教はその復古主義的性格からだいたいにおいて歴史主義的な世界観を持っていた。
※この「古代中国哲学における世界観」の解説は、「世界観」の解説の一部です。
「古代中国哲学における世界観」を含む「世界観」の記事については、「世界観」の概要を参照ください。
- 古代中国哲学における世界観のページへのリンク