古くからあるサトザクラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 20:22 UTC 版)
「フゲンゾウ」の記事における「古くからあるサトザクラ」の解説
歴史的な文献には、フゲンゾウの名の付くサクラの始まりは神奈川県の鎌倉の普賢菩薩が安置されていたお堂にあったサクラの名木を「普賢堂」と呼んだこと、その白い花を普賢菩薩が乗る白象に見立てて「普賢象」となったことが書かれており、1552年に成立した『塵塚物語』には、室町時代には「普賢象」が名桜として知られていて、京都の千本ゑんま堂の「普賢象」に後小松天皇が感心した事、この「普賢象」の枝が足利義満に献上されたことが記されている。このためサトザクラの中でもかなり古い品種であるとされるが、これらの「普賢象」が現在のフゲンゾウと同一の栽培品種であったかは議論の余地があり、室町時代時点の「普賢象」は特定のオオシマザクラに付けられた名称であり、室町時代以後の京都で現在の品種となった可能性も指摘されている。なお、1758年の松岡玄達の『怡顔斎桜品(いがんさいおうひん)』や1803年の桜井雪鮮の『花譜』に描かれた絵図と解説により、江戸時代後期の「普賢象」は現在のフゲンゾウと同一の形態であったことが確認されている。
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