口伝の歴史と初期に記録された歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 07:54 UTC 版)
「オタワ族」の記事における「口伝の歴史と初期に記録された歴史」の解説
アニシナーベの伝統やWiigwaasabakというシラカバの皮に書かれた巻物によれば、オタワ族は北アメリカの東部やタートル島、または東海岸沿いからやって来たという。アニシナーベの人々はmiigis(光る物)に導かれ、セントローレンス川に沿って内陸へと移動した。現在のデトロイト近くの「3番目に止まる場所」で、アニシナーベの南のグループはオジブワ、オタワ、ポタワトミの3つに分かれた。 考古学的証拠により、中期ウッドランド期にブルース半島に位置していた、ホープウェル文化に影響を受けたソーギーン・コンプレックス(Saugeen Complex)のグループが後にオタワ族に発展した可能性が示されている。ホープウェル文化は紀元前200年から西暦500年頃にかけて、広域に展開した交易ネットワークとして機能していた。西暦250年頃までは、埋葬のためにマウンドと呼ばれる人工の丘を築いていた。ソーギーンのマウンドは未だ発掘されていない。 オタワ族はオジブワ族、ポタワトミ族とともに3つの火の連合と呼ばれる、長期間にわたる部族間の同盟を結んでいた。彼ら部族はイロコイ連邦やダコタ族と戦った。1615年、フランス人の探検家サミュエル・ド・シャンプランはフレンチ川の河口近くで連合の300人と出会い、「私たちはles cheueux releuez(髪が巻き上げられている)と呼ぶ」と述べた。彼はまた、「彼らの装備は弓矢、皮で作られた盾、こん棒のみである。腰布などは無く、身体には様々なデザインの刺青が施されている。顔には化粧をしており、鼻にピアスをしている」とも述べた。 1667年のイエズス会通信は、オタワ族、キスカコン・オタワ族(Kiskakon Odawa)、シナゴ・オタワ族(Sinago Odawa)の3つの部族が同じ町で暮らしていたと報告した。3つの部族はいずれも同じ言語を話していた。
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