又吉真光の系統
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 02:06 UTC 版)
又吉真光は、1888年(明治21年)、那覇市垣花町に生まれ、北谷村(現・北谷町)の千原で育つ。又吉は具志川村(現・うるま市)の比嘉翁(通称・具志川テーラ小)に棒術、櫂術、鎌術、釵術を、また北谷村野原で伊禮翁(通称・ヂトデーモーシー小)からトゥンクワー(トンファー)術、ヌンチャク術を学んだ。明治末年頃より中国に渡り、満州で馬術、手裏剣術、投縄術を、上海では某師(キンガイ)よりティンベー術、スルチン術、ヌンティ術を学んだとされる。戦後、実子の又吉真豊が1960年(昭和35年)に「光道館」を開設し、1970年(昭和45年)には沖縄古武道連盟(その後、社団法人・全沖縄古武道連盟に改称)を設立した。現在は、金硬流唐手沖縄古武術の名称で活動している。金硬流は主に沖縄本島中部(北谷村、具志川村)に伝わる武器術と中国の武器術を継承するのが特徴である。
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