参考②・木幡經清2(五郎右衛門のち近江)
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「木幡継清」の記事における「参考②・木幡經清2(五郎右衛門のち近江)」の解説
同じく「衆臣家譜」にみられる人物。初名を木幡五郎右衛門。木幡武清(彦市郎)の三男で「木幡近江」の子としている系譜も同書にある。後に官途名・受領名を近江と改めた。 盛胤・義胤に仕えた。宇多郡立谷村(相馬市立谷)に住み、永禄の頃から天正中に処々の戦場で数々の戦功を立てた。 「一書ニ曰ク、經清・清房兄弟ヲ以、彦市郎武清之子ト為ス。」とある。 寛永元年(1624年)甲子3月15日死去。没年齢は記されていない。 なお、父・彦市郎武清は天正4年(1576年)丙子6月下旬、名取郡座流川合戦のとき討死(56歳)、長兄正清は同年7月17日、矢野目合戦のとき闘死(年齢なし)、次兄懿清は天文 (元号)以来、元亀・天正に至って諸所に戦功有り、永禄5年(1562年)壬戌、主君盛胤に従い采地十貫文を賜る。行方郡吉奈(南相馬市小高区吉名)に住み、慶長4年(1599年)己亥12月24日死去(78歳)とある。 木幡近江 木幡武清(彦市郎)――正清(マサキヨ)(四郎右衛門) |―懿清(木幡甲斐)――女(青田太郎右衛門常治妻) | |―高清(源左衛門のち駿河)――清吉(藤左衛門) | |―清宗(四郎右衛門) | |―清重(藏人主) |―經清(五郎右衛門のち近江)――玄清(與惣兵衛)――信清(小兵衛) | |―清勝(五郎右衛門) | |―信清(小兵衛) |―清房(作助のち甚五右衛門)
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