参考①・木幡經清1とは? わかりやすく解説

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参考①・木幡經清1(大膳 后因幡)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 14:56 UTC 版)

木幡継清」の記事における「参考①・木幡經清1(大膳因幡)」の解説

木幡盛清の死後相馬盛胤によって木幡嫡流とされた木幡政清(出羽)の名跡継いだ官途名受領名木幡大膳因幡称す行方郡千倉庄(現在の南相馬市鹿島区千倉)一郷(陸奥真野郷)の侍大将として活躍した天正16年1588年5月相馬義胤三春城危難のときに従軍し同年6月田村浅川塁(石川郡浅川町攻めのとき戦功をあげた。 また同17年1589年5月17日田村常盤田村市常葉町地区攻めのときに軍功。 同18年5月14日伊達勢と駒ヶ嶺戦い相馬敗軍のとき、相馬盛胤従い殿軍務め、敵を討ちながら退却。「其の抜群なり。此の他、処々戦陣軍功を竭す。」と評された。本領五百二十九石、後に牛越南相馬市原町区牛越)に移住元和4年1618年2月9日死去した。「衆臣家譜」には年数不知没年知らず)とある。 木幡政清(出羽)――經清(大膳因幡)――長清勘解由)――信清(薩摩) | |―某(内膳)無子孫原文ママ) | |―某(主殿)無子孫 采地222石(原文ママ) |―胤重(藤橋作右衛門外祖父藤橋紀伊胤泰養子 母者同經清 |―女(岡田左衛門胤政妻)母川俣館(伊達郡川俣町)主櫻田右兵衛宗秀女 |―清光源兵衛)母同上 妻牛来弥兵衛女 |―清重半平)系在別(別の系譜あり)

※この「参考①・木幡經清1(大膳 后因幡)」の解説は、「木幡継清」の解説の一部です。
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