参考②・木幡經清2とは? わかりやすく解説

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参考②・木幡經清2(五郎右衛門のち近江)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 14:56 UTC 版)

木幡継清」の記事における「参考②・木幡經清2(五郎右衛門のち近江)」の解説

同じく「衆臣家譜」にみられる人物。初名を木幡五郎右衛門木幡武清彦市郎)の三男で「木幡近江の子としている系譜同書にある。後に官途名受領名近江改めた。 盛胤・義胤に仕えた宇多郡立谷相馬市立谷)に住み永禄の頃から天正中に処々戦場数々戦功立てた。 「一書ニ曰ク、經清・清兄弟ヲ以、彦市武清之子ト為ス。」とある。 寛永元年1624年甲子3月15日死去没年齢は記されていない。 なお、父・彦市武清天正4年1576年丙子6月下旬名取郡流川合戦のとき討死56歳)、長兄正清同年7月17日矢野目合戦のとき闘死(年齢なし)、次兄懿清は天文 (元号)以来元亀天正至って諸所戦功有り永禄5年1562年壬戌主君盛胤に従い采地貫文賜る行方郡吉奈南相馬市小高区吉名)に住み慶長4年(1599年己亥12月24日死去78歳)とある。 木幡近江 木幡武清彦市郎)――正清マサキヨ)(四郎右衛門) |―懿清(木幡甲斐)――女(青田太郎右衛門常治妻) | |―高清(源左衛門のち駿河)――清吉藤左衛門) | |―清宗(四郎右衛門) | |―清重藏人主) |―經清(五郎右衛門のち近江)――玄清(與惣兵衛)――信清(小兵衛) | |―清勝五郎右衛門) | |―信清(小兵衛) |―清房(作助のち甚五右衛門

※この「参考②・木幡經清2(五郎右衛門のち近江)」の解説は、「木幡継清」の解説の一部です。
「参考②・木幡經清2(五郎右衛門のち近江)」を含む「木幡継清」の記事については、「木幡継清」の概要を参照ください。

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