参考③・木幡玄清
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 14:56 UTC 版)
「参考②・木幡經清2」の子。相馬盛胤は天正18年(1590年)5月14日、童生淵の戦いのとき玄清の抜群の戦功を褒めた。陣所において、盛胤が自らの手で貞宗の懐剣を賜った。この時相馬は敗軍。「玄清殿為テ(殿軍をして)戦忠ヲ抽ンス(ぬきんでる)」とある。盛胤の次男・相馬隆胤の戦死の童生淵の戦いで殿軍を務めたことがわかる。 慶長4年(1599年)巳亥10月17日、父・經清に先んじて死去した。 没年齢は記されていない。
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