厚労官僚として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 14:04 UTC 版)
その後、2008年、厚生労働省に技官として入省した。同年、厚生労働省の医薬食品局にて血液対策課に配属された。2009年(平成21年)には、厚生労働省の健康局に異動し結核感染症課に配属された。2010年(平成22年)、厚生労働省の医薬食品局にて再び血液対策課に配属された。2011年(平成23年)、環境省に出向し、総合環境政策局の企画課にて特殊疾病対策室に配属された。その後、石綿健康被害対策室に配属された。翌年、特殊疾病対策室の室長に昇任した。2013年(平成25年)、厚生労働省に戻り、医政局の総務課にて医療安全推進室の室長に就任した。 2015年(平成27年)に内閣官房に出向し、健康・医療戦略室にて参事官に就任した。2019年(令和元年)7月、厚生労働省にて大臣官房の審議官(危機管理、科学技術・イノベーション、国際調整、がん対策、国立高度専門医療研究センター担当)に就任した。また、内閣官房に設置された健康・医療戦略室にて次長を兼ね、健康医療政策の取り纏めに従事した。そのほか、内閣府にて大臣官房の審議官(科学技術・イノベーション担当)に併任されるとともに、日本医療研究開発機構・医療情報基盤担当室の室長にも併任された。 2020年 (令和2年) 4月3日付で、内閣府・内閣官房の役職の兼務を解かれる。 2020年8月、厚生労働省大臣官房審議官 (子ども家庭、少子化対策担当) に就任。
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