南部戦線、1776年
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「ジェスロ・サムナー」の記事における「南部戦線、1776年」の解説
1776年4月4日、アメリカ独立戦争が一年間近くマサチューセッツでの闘争が続いた後、ハリファックスのノースカロライナ植民地議会はサムナーを大佐に選任し、ノースカロライナ第3連隊長とした。この年、イギリス軍が侵略を試みたチャールストンで、防衛戦に参加した可能性がある。その後、チャールズ・リー少将によるイギリス領フロリダ侵略の作戦に関わったが、この計画は結局頓挫した。その侵略の計画段階で、バージニア第8連隊長のピーター・ミューレンバーグと意見が合わなかった。リーが部隊に先行して動いている間に、そのバージニアとノースカロライナの部隊の指揮をどちらが執るかという問題が争いの元だった。この問題は審問にあたった軍事法廷にサムナーが出席せず、申し立てできなかった後で、ミューレンバーグに暫定指揮権が与えられるということで落ち着いた。1776年8月18日までにサムナーの第3連隊はジョージア植民地サバンナに到着し、その月早くに到着していたリーと合流した。しかし、結局フロリダ侵攻は実現せず、サムナーはその連隊をサバンナに残し、同年9月にノースカロライナからさらに多くの兵士を徴募するために戻った。
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