南朝時代と帰参
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 14:33 UTC 版)
南北朝時代、新田義貞を中心に南朝に参加した新田一族と異なり、山名時氏は縁戚の足利尊氏に従った。尊氏が征夷大将軍に就任、室町幕府を開くと、時氏は1337年(建武4年)に伯耆国の守護に任じられ、以降南朝方の勢力の根強い山陰地方の守護に任じられて最前線で戦い、守護大名として大勢力を張った。山名を称する武家も複数あったが時氏は山名氏宗家として尊氏から公認され先祖にちなむ「伊豆守」に任じられた。その後の観応の擾乱では当初は高師直に味方していたが、その後は足利直義や足利直冬方に転じて南朝に加わり、尊氏や足利義詮を破って京都を一時占領したこともあった。二代将軍足利義詮の時に幕府へ帰参し、赤松氏や京極氏、一色氏と並んで四職家の一つにまで数えられるに至った。
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