南朝梁の建国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 09:14 UTC 版)
蕭衍は若い頃より文武両面において注目され、文化の中心であった竟陵王蕭子良の西邸にも出入りし、沈約らと共に「竟陵八友」の一人に数えられた。 雍州刺史であった時、暴政を敷いていた皇帝蕭宝巻が蕭衍の長兄の蕭懿(次兄の蕭敷は早世)を誅殺したこともあり、追い込まれた蕭衍は弟の蕭宏・蕭偉・蕭恢とともに蕭宝融(和帝)を奉じて、皇帝打倒の兵を挙げ、都の建康に軍を進めて蕭宝巻を弑した。彼が代わって擁立した和帝から禅譲を受けて天監元年(502年)に帝位に即き、南朝梁を興した。
※この「南朝梁の建国」の解説は、「蕭衍」の解説の一部です。
「南朝梁の建国」を含む「蕭衍」の記事については、「蕭衍」の概要を参照ください。
- 南朝梁の建国のページへのリンク