南アメリカ線参入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 03:08 UTC 版)
「パンアメリカン航空」の記事における「南アメリカ線参入」の解説
1920年代後半から1930年代にかけては、チャールズ・リンドバーグを顧問に迎え、フロリダ州からのカリブ海路線以外にも当時アメリカがその影響力を増していた中南米路線を積極的に拡大するとともに、アルゼンチンやチリ、メキシコやブラジルなどの南アメリカへの長距離国際線の路線権を獲得する。 さらに、キューバのクバーナ航空や、ブラジルのパンエア、メキシコのメヒカーナ航空など、それらの国々の航空会社を次々と買収しその路線網を拡充していく。 また、1929年には当時アメリカとカリブ海沿岸諸国、南アメリカ諸国を結ぶ客船ルートを多数運航していたアメリカのグレース・シッピングと合弁会社のパンアメリカン・グレース・エアウェイズ(「パナグラ(Panagra)」として知られた)を設立し、客船との接続ルートを運航した。なおパナグラは1968年まで経営された。 なお陸上機による路線網もあったものの、当時は短距離から中長距離路線に至るまで飛行艇による運航が中心であり、マイアミ港に設けられた専用空港を中心に路線網を構築していた。
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