半島戦争勃発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 10:09 UTC 版)
「アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)」の記事における「半島戦争勃発」の解説
1807年にポルトガル侵攻を決意したフランス皇帝ナポレオン(1804年に皇帝即位)は、スペイン宰相マヌエル・デ・ゴドイとの間にポルトガル分割とフランス軍のスペイン領通過を認める内容のフォンテーヌブロー条約を締結したうえでポルトガル侵攻を開始し、同年12月にはポルトガル首都リスボンを占領した。さらに1808年にはスペイン王室を退位させて、ナポレオンの兄ジョゼフ・ボナパルトをスペイン王位に就けた。 この一連のナポレオンの横暴に反発したスペイン民衆は、1808年5月以降、次々と武装蜂起し、イベリア半島全土を舞台にした半島戦争が勃発した。7月にはピエール・デュポン将軍率いるフランス軍がバイレンの戦いでスペイン軍に敗れる事態となった。 こうした状況を見てイギリス外務大臣ジョージ・カニングはポルトガルやスペインの蜂起を支援することを決定し、1808年7月にサー・アーサーを司令官とする9000人の王立陸軍をリスボンの北方にあるモンデゴ湾に派遣した。上陸にあたってサー・アーサーは部下たちに「ポルトガルは国王ジョージ3世陛下の盟邦であって、征服地ではない。略奪や強姦は許されない。違反者は厳罰に処す」と厳命しつつ、ポルトガル市民に対しては「我々はフランスの侵略者から諸君らを解放しにきた」と訴えた。
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