半島戦争の経過
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/11 22:46 UTC 版)
「フンタ (半島戦争)」の記事における「半島戦争の経過」の解説
ナポレオン・ボナパルトとその軍は、フォンテーヌブロー条約に基づいてポルトガルを侵略するという名目で、1808年2月9日にカタルーニャに入ったのを皮切りに、2月13日にはバルセロナに駐屯、2月29日にはシウダデリャとモンジュイックを事実上占領した。これに対しスペイン当局は逆らうことなく治安の維持に努めるのみであった。3月のアランフエス暴動でカルロス4世が退位しゴドイが失脚、フェルナンド7世の即位が決まるが、5月から6月にかけてナポレオンの実兄ジョセフがスペイン国王となり、フランスのスペイン併合の意図が明らかにされた。依然バルセロナは占領されたままであったが、占領を免れていた各都市では、5月28日のリェイダを始めとして、抵抗組織としてのフンタ、自治評議会が続々と作られた。1808年6月18日には各地区評議会の結集体としてカタルーニャ最高評議会が作られた。
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