千駄ヶ谷村の成立過程とは? わかりやすく解説

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千駄ヶ谷村の成立過程

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/13 17:47 UTC 版)

渋谷区の町名」の記事における「千駄ヶ谷村の成立過程」の解説

後に千駄ヶ谷村となる地区には、近世末には千駄ヶ谷村穏田原宿の3千駄ヶ谷町千駄ヶ谷大番町などの町地があった。 明治5年1872年)、千駄ヶ谷町千駄ヶ谷一〜三丁目となり、同年までに千駄ヶ谷仲町一・二丁目、千駄ヶ谷西信濃町、千駄ヶ谷甲賀町成立した明治11年1878年)、東京府15区6郡が設置された際、千駄ヶ谷村穏田原宿南豊島郡となり、千駄ヶ谷一〜三丁目千駄ヶ谷仲町一・二丁目、千駄ヶ谷西信濃町、千駄ヶ谷甲賀町千駄ヶ谷大番町の計8町丁四谷区新宿区前身)の所属となった。ただし、これらの8町丁は翌明治12年四谷区から千駄ヶ谷村編入され町名一部同村小字となり、一部消滅した明治22年1889年)、町村制施行に伴い千駄ヶ谷村穏田原宿の3合併して新し千駄ヶ谷村成立。旧3そのまま新・千駄ヶ谷村大字となったこの際、旧千駄ヶ谷村のうち字西信濃町・甲賀町大番町・火薬庫前・川向・池尻岳(かすみがおか)は分離して、再び四谷区所属した千駄ヶ谷村から再び四谷区移った地域は、かつての千駄ヶ谷一丁目千駄ヶ谷西信濃町、千駄ヶ谷甲賀町千駄ヶ谷大番町の区域で、現行の新宿区大京町南部信濃町西部及び霞ヶ丘町相当する千駄ヶ谷村明治40年1907年)、渋谷村明治42年1909年)、代々幡村大正4年1915年)にそれぞれ町制施行して、千駄ヶ谷町渋谷町代々幡町となった

※この「千駄ヶ谷村の成立過程」の解説は、「渋谷区の町名」の解説の一部です。
「千駄ヶ谷村の成立過程」を含む「渋谷区の町名」の記事については、「渋谷区の町名」の概要を参照ください。

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