海雲寺 (品川区)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 海雲寺 (品川区)の意味・解説 

海雲寺 (品川区)

(千躰荒神王 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/03 13:08 UTC 版)

海雲寺

千躰荒神堂
所在地 東京都品川区南品川三丁目5番21号[1]
位置 北緯35度36分32.7秒 東経139度44分36.6秒 / 北緯35.609083度 東経139.743500度 / 35.609083; 139.743500座標: 北緯35度36分32.7秒 東経139度44分36.6秒 / 北緯35.609083度 東経139.743500度 / 35.609083; 139.743500
山号 龍吟山[2]
院号 瑞林院[2]
宗派 曹洞宗[1]
本尊 十一面観音[2]
創建年 1251年(建長3年)[1]
開山 祖耕[2]
開基 不山東用[2]
正式名 龍吟山海雲寺
別称 品川千躰荒神
札所等 江戸三十三観音札所 番外
文化財 千躰荒神堂奉納扁額(品川区有形民俗文化財)
法人番号 3010705000126
テンプレートを表示

海雲寺(かいうんじ)は、東京都品川区にある曹洞宗の寺院。山号は龍吟山。「千躰荒神」を祀る寺として知られる。

歴史

この寺は、1251年建長3年)不山が近くの海晏寺内に建てた塔頭庵瑞林に始まると伝えられる。当初臨済宗に属したが、1596年慶長元年)五世分外祖耕により海晏寺から独立して曹洞宗に改められ、1661年寛文元年)海雲寺に改名した。

境内・文化財

  • 十一面観音像 - 1251年(建長3年)の創建当時からあり、春日仏師作とされる。
  • 千躰荒神像 - インドの毘首羯摩作と伝えられ、古く肥後国天草郡荒神ヶ原にあったが、鍋島直澄島原の乱出陣時に戦勝祈願したところ、千躰の神兵に助太刀され大きな武勲を得たといい、江戸高輪二本榎の佐賀藩鍋島家下屋敷に遷座させたが、1770年明和7年)3月当寺に勧請された。移転は島原の乱時にキリシタンによって社を壊されたためとする話も伝わる。
  • 千躰荒神堂奉納扁額 - 1861年文久元年)のガラス製雌雄二鶏図、1935年(昭和10年)の広沢虎造夫妻奉納の文字額など全27面があり、品川区有形民俗文化財に指定されている。
  • 平蔵地蔵 - 平蔵は鈴ヶ森刑場の番人で、2人の仲間と交代で乞食をしていたが、1860年頃の或る日大金が入った財布を拾い、正直に持ち主の仙台藩士に届けたところ、仲間の乞食に仲間外れにされ凍死したため、藩士が平蔵を悼んで建てたものである。当初青物横丁にあったが、1900年明治33年)10月京急本線建設に伴い当寺に移された。
  • 烏瑟沙摩明王
  • 筆塚 - 橘右近揮毫のもの。
  • 力石 - 大正中期まで使われていた。
  • えんの行者
  • 国会開設記念碑

交通

京急本線青物横丁駅徒歩4分(経路案内)。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「海雲寺 (品川区)」の関連用語

海雲寺 (品川区)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



海雲寺 (品川区)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの海雲寺 (品川区) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS