北里研究所
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1972年、北里研究所に東洋医学総合研究所が設立され、初代所長に大塚敬節が就任した。大塚恭男は非常勤として入所し、1976年に常勤となった。その後北里研究所部長、東洋医学総合研究所臨床研究部長、北里研究所社員、北里大学客員教授、東洋医学総合研究所基礎研究部長などを歴任し、1982年に東洋医学総合研究所副所長、1984年北里研究所理事、1986年には東洋医学総合研究所所長に就任した。1993年には北里研究所の副所長となった。 語学が堪能であったことから臨床医学に関しては海外からの留学生を多く育成した。ドイツからの留学生Ulrich Eberhard、Heidrun Reißenweber、英国のGretchen De Soriano、Nigel Dawes、ニュージーランドのPeter Townsendなどが漢方を学び、世界に戻っていった。また、ドイツの医史学者Paul U. Unschuldとも生涯親交があった。
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