北号作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 17:38 UTC 版)
詳細は「北号作戦」を参照 10月29日、伊勢は呉に戻った。11月1日、射出機を撤去し、伊勢は航空戦艦としての機能を失う。大戦末期、日本国内では石油・ゴムなどの資源が枯渇した。そこで伊勢は連合軍制海権下の南シナ海などを強行突破して資源を輸送する「北号作戦」に参加する。11月9日、佐世保を出港、南方に向かった。この作戦ではアメリカ潜水艦やアメリカ軍機の襲撃を受け、命中寸前の魚雷を高角砲で迎撃するなど危険な場面が度々あった。1945年(昭和20年)2月20日、奇跡的に無傷で呉に帰還を果たした。 この後の伊勢は燃料不足のため、3月1日、第四航空戦隊解隊により「呉鎮守府第1予備艦(浮き砲台)」に指定された。3月19日、呉空襲で伊勢は直撃弾2発を受け、呉港外・音戸町坪井沖にて特殊警備艦となり燃料不足とアメリカ軍の機雷封鎖で行動不能な状態のまま防空砲台となった。
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