北原組
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 00:48 UTC 版)
高松の大隠居と呼ばれた綿屋こと矢野清太郎(1879年11月1日-1956年4月13日)は神戸市の大嶋秀吉や中山八十吉とは五分の呑み分けの兄弟分だった。北原伝次郎は矢野の子分だった。独立して北原組を結成。昭和20年代に本多会初代会長・本多仁介の舎弟となった。 1947年頃、太政官系の組織と抗争事件を起こした。暫くして北原伝次郎が地元の市議会議員に当選した。1959年12月に娘婿の柴田敏治が二代目を継承し、本多会直参となった。 1965年、柴田敏治が初代と同じく市議選に出馬する事となり、二代目北原組は解散した(同年上部団体の本多会も解散している)。
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