化学的合成法の確立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/25 04:51 UTC 版)
1826年、フランスの化学者ピエール=ジャン・ロビケ (Pierre-Jean Robiquet) はアカネの根には2種の色素、赤いアリザリンとすぐに褪色するパープリンが含まれていることを発見した。このうちアリザリンについては1868年にドイツ・BASF社の化学者カール・グレーベとカール・リーバーマンによってアントラセンから合成する方法が開発され、天然物と同等な人工染料の初めての例となった。同じ頃、アニリン染料で知られるイギリスの化学者ウィリアム・パーキンも独立に同じ合成法を発見していたが、BASF社の方がパーキンよりも1日だけ早く(1869年6月25日)特許を申請していた。 現在では、アントラセンを酸化してアントラキノンとし、スルホ化した後に水酸化ナトリウムでアルカリ融解してできたアリザリンナトリウムを還元することでアリザリンを合成する。 合成アリザリンは天然物と比べ半分以下の費用で製造でき、ほとんど一夜にしてアカネの市場価値は大きく下落した。この時代、昆虫の行動研究で知られるジャン・アンリ・ファーブルは大学教授となるための財産基準を満たすべく、1866年より天然アリザリン精製の工業化研究に携わり、事業化に向けて一定の成果を収めてレジオン・ドヌール勲章の受章までしているが、グレーベらの合成研究の成功によって大打撃を受け、この事業から撤退を余儀なくさせられ、結局大学教授となる夢を断念している。今日ではそのアリザリンおよびそれをレーキ化した顔料のアリザリンレーキもデュポン社によって開発された高耐光性顔料キナクリドンによってほぼ取って代わられている。ただし、アリザリンレーキを必要とする業種・領域はいまだ存在し、確かな支持を保持している。
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