勝馬投票の試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 07:59 UTC 版)
馬券発売が禁止された補助金競馬時代はどの競馬場も閑古鳥が鳴く。そのなかで1913年(大正2年)宮崎競馬場、1914年(大正3年)目黒競馬場で景品券付き勝馬投票の試みを行う。翌1915年(大正4年)松戸でも勝馬投票を取り入れる。勝馬投票は馬券のようなものだが、禁止されている馬券と見なされないように現金で払い戻さず、当たった投票券は商品券で払い戻し。販売は入場券についた投票券(1円の1等入場券には投票券2枚、50銭の2等入場券には1枚)で投票し商品券の額も払い戻し枚数も制限があり、当たり投票が多いと抽選になる。松戸では勝馬投票100票を1組として、1等賞は呉服切手(商品券)5円が2枚、2等賞は呉服切手(商品券)1円が25枚まで交付される。勝利馬を当てた人が多ければ商品券は抽籤になる。。 勝馬投票は1レースあたり多い時で190票、少ない時で100票程度の売れ行きで、東京や横浜の競馬好きが松戸を訪れたという。馬券黙許時代には遠く及ばないものの勝馬投票開始後には観客も増えている。勝馬投票実施で朝夕に1本臨時列車も走ったという。馬券黙許時代のような混乱が起きないか馬政局からも監視がきたが、発売所は混雑もなく静粛だったという。
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