動画・デジタル作品への取り組み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 00:11 UTC 版)
「前田真三」の記事における「動画・デジタル作品への取り組み」の解説
1986年(昭和61年)の秋、ソニーから、当時新しくできた映像技術であるハイビジョンで日本の風景を撮ってみないかという話が前田真三のもとへ持ち込まれた。当初前田真三は、美瑛町に撮影拠点となる「拓真館」建設に着手したところで、1年を通して日本各地を取材することなどとてもできないと固辞した。しかし、実際にハイビジョンの映像を見るうちに、動画も静止画も根本的には自然を撮ることの基本理念に変わりはない、として、拓真館を中心にした美瑛の丘陵地帯を舞台に撮影するのならと、1年がかりで取り組んでみようかという考えに変わった。こうして1987年(昭和62年)にハイビジョン作品『四季の丘』が発表された。その後はハイビジョン作品のほか、CD-ROM写真集なども発表された。もともと日綿実業勤務時代から写真の傍ら8ミリ映画も撮っていたことから動画には興味もあり、パソコン上での写真加工にも全く否定的ではなかったことから、最新の映像技術にも抵抗はなかったとされる。ハイビジョン作品の音楽には、当時デビューした作曲家・ピアニストの中村由利子のアルバム『風の鏡』も起用された。このことから、中村由利子は美瑛の丘の風景をモチーフにした楽曲を作曲するようになり、以降に発表された前田真三の映像作品に度々楽曲を提供するようになった。
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